あなたは、新しいプロジェクトの提案を前に、過去の失敗事例や、これまでに投じてきたリソース、いわゆる「サンクコスト」にとらわれて、一歩踏み出せない経験はありませんか。日本企業、特に歴史の長い組織で働く方々から、私はよくこういった相談を受けます。新しい技術への投資、事業提携、あるいは組織改革。どれも将来の成長のために不可欠だと分かっていながら、「もし失敗したらどうなるか」「これまで費やした時間とお金が無駄になるのではないか」という恐れが、合理的な意思決定を妨げているのです。
私は、これまで二度のIPO(新規株式公開)を経験し、その過程で、まさにこの「失敗をコスト化する」という思考の危険性を痛感してきました。IPOは、企業の未来を市場に問う究極の挑戦であり、そこには常に巨大なリスクと、過去の成功・失敗の影がつきまといます。しかし、上場という高いハードルを越えることができた企業は例外なく、過去の失敗を「コスト」ではなく「未来へのデータ」として捉え直す能力に長けていました。
本記事では、私がCFOとして経験したIPOのリスク分析の現場での教訓を基に、「失敗をコスト化するな」というメッセージの真意を解説します。そして、サンクコストを無視し、長期的視点を持って未来志向で挑戦を続けるための具体的な思考法を提示します。
IPOの現場から学ぶ:リスクの本質と「サンクコストの罠」
リスク分析は「失敗の確率計算」ではない
上場準備の過程で、最も重要なタスクの一つがリスク分析です。これは、単に「どんな悪いことが起こりうるか」をリストアップする作業ではありません。真のリスク分析とは、将来の不確実な要素を洗い出し、それらが企業価値に与える影響を客観的に評価し、対処可能な形に分解する作業です。
私が見てきた、挑戦を恐れる企業の多くは、このリスク分析を誤解しています。彼らはリスクを「挑戦の結果として発生する避けるべきコスト」と見なします。結果として、リスクがゼロになるまで動かない、あるいは、リスクが低いとされる「前例踏襲」の道を選びがちになります。
一方で、IPOを成功させる企業のリスク分析は、まるで異なります。彼らにとってリスクとは、「成長のために乗り越えるべきハードル」であり、「未来の機会を最大化するための前提条件」です。成功企業は、リスクを分析し、そのリスクを低減するためのコストやリソースを適切に計画します。つまり、失敗の可能性をゼロにしようとするのではなく、失敗から立ち直るスピードと仕組みを設計するのです。
サンクコストが挑戦を阻むメカニズム
二度目のIPOを目指す企業で取締役として働いていたとき、ある新規事業への投資判断が議論になりました。技術的には優れているが、これまでの主力事業とは全く異なる分野でした。経営陣の一部からは、「これまでの主力事業に投じてきたノウハウや人的リソースを活かせないのは、サンクコストの無駄ではないか」という反対意見が出ました。
この「サンクコストの罠」は非常に強力です。サンクコスト(埋没費用)とは、すでに支払ってしまい、いかなる選択をしても回収できない費用のことです。会計学や経済学では、将来の意思決定にサンクコストを考慮すべきではないと明確に教えられています。なぜなら、それを考慮することは、過去の失敗や投資に引きずられて、未来の最適な選択を歪めることになるからです。
しかし、人間は感情の生き物です。特に、自分が深く関わったプロジェクトや、長年培ってきた事業から撤退することは、精神的な痛みを伴います。この痛みを「失敗のコスト」と見なし、それを回避するために、非合理的な継続、つまり「泥沼の深掘り」をしてしまうのです。
IPOを目指す企業が、上場という厳しい試練を乗り越えるためには、このサンクコストの呪縛を断ち切らなければなりません。過去の事業で**どれだけ赤字を出そうが、どれだけ時間や人材を費やしていようが、それはすでに「ゼロ」**なのです。重要なのは、「今、この瞬間から、未来に向けて何が最も合理的で価値を生むか」というゼロベース思考での問いかけです。
挑戦の意義:長期的な視点と成長の連鎖
失敗は「知恵のインフラ」である
では、失敗を「コスト」にしないとは具体的にどういうことでしょうか。それは、失敗の発生時に、感情的に落ち込むのではなく、即座に**「なぜそれが起こったのか」という因果関係に注目し、データとして回収すること**です。
IPOの開示業務では、企業のあらゆる情報が監査法人や証券取引所の厳しい目に晒されます。過去のトラブル、訴訟リスク、内部統制の不備。これらは一見「失敗の痕跡」ですが、上場審査を乗り越える企業は、これらの「失敗」を徹底的に分析し、具体的な改善策を講じています。その結果、企業内部に**強固な内部統制システムや、危機管理の「知恵のインフラ」**が構築されるのです。
失敗を恐れて何も行動しない企業には、この「知恵のインフラ」は永遠に築かれません。成功体験からは「何をすべきか」が学べますが、失敗体験からは「何をすべきではないか」「どうすればより強固になれるか」という、より本質的な知恵が生まれます。この知恵こそが、企業価値を長期的に支える、無形資産なのです。
長期的視点がリスクを「機会」に変える
私は常々、リスクは「短期的な視点」と「長期的な視点」の対比で捉えるべきだと考えています。
- 短期的な視点:「この投資が失敗したら、今期の決算が悪化する。私の評価が下がる。」
- 長期的な視点:「この挑戦をしないと、5年後、10年後に市場での競争優位性を失う。この挑戦の失敗から得られるデータは、次の成功への唯一の道筋である。」
二度の上場経験を通じて、私は長期的な視点を持つことの絶大な力を学びました。短期的な失敗は、往々にして長期的な成功のためのステップです。
私が過去に携わったスタートアップ企業では、市場参入直後に競合他社の猛攻を受け、一時的に大きな損失を計上しました。会計の観点からは「失敗コスト」です。しかし、経営陣は感情的に撤退するのではなく、この短期的な失敗から得られたユーザーのフィードバック、競合の戦術、市場の反応という「データ」を徹底的に分析しました。そして、そのデータを基にプロダクトを改善し、数年後には競合を抜き去る成功を収めました。彼らは、その損失を「失敗のコスト」ではなく、「市場リサーチ費用」として認識していたのです。
キャリアにおける挑戦の再定義
これは、企業の経営判断だけでなく、私たち個人のキャリア形成にも全く同じことが言えます。
よしはるさんが会計事務所、取締役、ルートセールス、編集者、そしてCFOと、多様なキャリアを歩まれてきたことこそが、この「失敗をコスト化しない」生き方を体現しています。
「ルートセールスへの転身は、会計のキャリアのサンクコストではないか?」 「編集者としての経験は、IPOへの道筋で無駄ではないか?」
短期的に見れば、そう見えるかもしれません。しかし、会計士としての論理的思考力と、セールスでの顧客理解力、編集者としてのコミュニケーション力・ストーリーテリング能力は、CFOとして監査法人や投資家と対峙し、社内の多様な部門を統括する上で、不可欠なスキルセットとして昇華されたはずです。
**挑戦の結果としての「失敗」は、人生という長期的な会計における「先行投資」**なのです。その投資から得られた経験、知恵、人脈は、絶対に失われない無形資産であり、未来の価値創造の源泉となります。
未来志向で行動するための具体的な思考法
「サンクコストを無視せよ」と言われても、感情を伴う人間にとっては難しいことです。そこで、私が実際に意思決定の場で活用してきた、過去のしがらみを断ち切り、未来志向で考えるための具体的なステップをご紹介します。
1. ゼロベース思考の徹底
まず、現在取り組んでいるプロジェクトや、検討中の選択肢について、**「もし、今、何も始まっていないとしたら」**というゼロベースで考えてみてください。
問いかけ:「もし、過去にこのプロジェクトに一切の時間、お金、労力を費やしていなかったとしたら、私は今日、この選択肢を選びますか?」
この問いに対して「No」であれば、今すぐ撤退するのが合理的です。過去の努力は、それを続ける理由にはなりません。重要なのは、今この瞬間のリソースを、未来で最も高いリターンを生む場所に投じることです。
2. 意思決定ツリーの活用と客観的な確率計算
意思決定の際には、意思決定ツリーを作成し、選択肢ごとに**「成功した場合のメリット」と「失敗した場合のデメリット」**を、できる限り具体的な数値で評価します。
そして、重要なのは「感情」ではなく、「成功確率」と「失敗確率」を客観的に見つめることです。特に失敗のデメリットについては、リスク分析の経験を活かして、「この失敗は、リカバリーできるものか?(致命的か?)」という視点で評価します。致命的でない失敗であれば、それは単なるデータ収集のコストとして割り切ることができます。
3. ロジカルに「挑戦のメリット」を言語化
サンクコストを無視することは、「これまでの自分を否定する」ことのように感じられ、不安を覚えます。この不安を解消するには、「挑戦することによる未来のメリット」を論理的、かつ具体的に言語化することが有効です。
- 「この挑戦が失敗した場合でも、私たちはAという知見、Bという技術、Cという人脈を獲得できる。これらは次なる挑戦への最高の資産となる。」
このように、失敗から得られる無形資産を明確にすることで、失敗を「避けたいコスト」ではなく、「支払うべき投資対価」として捉え直すことができます。
まとめ:あなたの失敗は「未来へのデータ」だ
失敗はコストではありません。それは、私たちが未来を最適化するために必要な、最も貴重なデータです。
二度の上場という成功の裏側には、数え切れないほどの挑戦と、そこから得られた失敗のデータが存在します。そのデータこそが、企業を磨き上げ、長期的な成長へと導く羅針盤となりました。
あなたが今、挑戦を躊躇しているとしたら、どうか過去のサンクコストの亡霊を追い払い、長期的な視点で未来を見据えてください。あなたの挑戦から得られる一つ一つの経験は、決して無駄にはなりません。それは、あなた自身の「知恵のインフラ」を構築し、次の成功を決定づける揺るぎない礎となるのです。
あなたのキャリア、人生は、過去のどの瞬間で判断しても常に「今のあなた」から始まります。
あなたが今日、この記事を読んで、「サンクコストを無視して、次こそ挑戦したい」と思ったアイデアは何ですか?
そのアイデアが、失敗しても得られる最も価値のある「知恵」は何だと思いますか?具体的な一言を、ぜひSNSで#失敗をコスト化するな をつけてコメントしてください。あなたの未来志向の挑戦を応援しています。
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